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昔風に79歳の誕生日 [釣洋一]

6月20日は釣の79回目の誕生日でした。それは又土方歳三の144回忌の日でもありました。フルベッキ写真の研究に半生をかけておられる高橋信一先生が一番乗りでした。
丹南藩の家老の子孫杉浦真樹さんが二番手で、三番手の有賀さんとで、皆さんが集まるまで、龍馬の妻お龍の名前について語り合いました。
先日、青山学院大学で高橋先生の講演があった時、高橋先生が鈴木かほる先生に、お龍の名は(良)ではないか?とたずねられたところ、龍馬がお龍に聞いたところ(龍)と書いたので、私に似ていると言い、生まれた時、父がつけた名前ということでした。
お良というのは、『反香魂』の安岡秀峰が勝手に付けた名であるというようなことを言っておられた。
念のため、龍馬が乙女姉さんへ宛てた、お龍の紹介文を探ってみた。
今の名ハ龍と申、私しニにており候。早々たずねしニ、生レし時、父がつれし名よし。と認められている。
問題は、最後の『父がつれ(け)し名(の)よし(由)』と龍馬の関係本での解釈である。確かにこの読み方なら、お龍が生まれた時、父が名付け名前ということになる。 しかし、これでは、最初の『今の名は龍』という一文にそぐわない。
『今の名は龍』というからには、前に別の名があったことを示唆している。 そこで最後の『父がつけし名(の)よし(由)』を『父がつけし名(は)よし(良)』と読めば、今の名は龍と書いた意味に通じる。
今の名は龍という文が、今の二文字がなければ、『名は龍と申』となり、生まれた時、父がつけた名の由、となるが、今の名はと書かれて以上、前の名は別にあったと解釈せざるを得ない。
つまり、お龍が生まれた時、父が付けた名前は『お良(よし)』だったということになる。
お龍が、龍馬に名を聞かれた時、自から『良』と書いたかどうかは定かでないが、龍馬が『よし』と聞いて『良』と書き(りやう)と発音することで、龍馬の(りょう)と似ているとの思いから、龍馬の龍に当て嵌めたのではないか?と勝手な思いに耽っているのだが、いかがなものか−−。漢字で『龍』と一字での女性の名なら、普通なら(たつ)と読んでも、(りょう)や(りゅう)とは読まない。又、『良』も同じで(よし)という以外に(りやう)とは名付けるはずがない。旧仮名遣いでだは、『良』の読み方としては、(りやう)であって、(りょう)ではない。 往時、女性の名は、通常仮名で二文字である。
はる、なつ、あき、ふゆ、つね、みつ、たま、さな、これらの名を漢字に書き変えたり、子の字を加筆したと考えるべきことだと思う。 乙女姉さんの名は、とめが本名で、敬語の(お)を付けて、おとめ姉さんと書くべきところを、龍馬のアイディアで(乙女姉さん)ということになったのではないかと考えているのだが、下司の勘繰りとお叱り被りそうだ!この辺で止めておかなければ、馬脚が現れる。くわばら、くわばら−−。
ただ、時代小説やテレビ時代劇で、女性が名前を聞かれて、
『はい、お美代と申します』
と、自分の名を告げるのに、敬語の(お)付けているからびっくり仰天。困ったものだ。
作家やシナリオ・ライターたちの無神経さにも呆れているのだが、私自身、そのような失敗をどこかでやらかしているのかもネーーゴメン。なぁーんて、謝って済む問題ではないか。
こんな話をしながら80歳への道を歩き出しました。
その後、カトケン、それに女流剣士の久美女が岐阜の恵那から馳せ参じてくれたばかりか、遥々コロラドから臼井さんも駆け付けて下さって、感謝、感謝です。
それにアマリゲスこと天利さんを連れ立った千歳ちゃんもやって来ました。
彼女は来月、下関で行われる直木賞作家の古川薫氏が主宰する勉強会に出席するとのことです。既に、大出俊幸元新人物往来社社長から紹介状を戴いたとのことですが、釣も一筆認めます。古川先生、彼女は釣が主宰する会『江戸史談会』の会員でもありますのでよろしくお願い致します。
今度の日曜日は、第19回の鬼平忌 です。
14時〜雨天決行
新宿区須賀町9
戒行寺(鬼平の菩提寺)会費2000円
夢を爪弾くファンタジック・ギターの伊藤芳輝さんの演奏があります。もちろん鬼平の主題曲を初めと最後の二度、あなたの心を揺さ振ります。
友人、知人お誘い合わせの上、是非、お出かけ下さい。
心よりお待ち致しております。釣でした。
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高橋信一

釣先生に反論します。私は「フルベッキ写真」に人生を掛けていません。元々、東大さんに西郷隆盛の時と同様に真剣に解明してもらいたかった。誰もやらないので、仕方なくやって来ました。そこから古写真の世界に入ったわけですが、釣先生はインターネットをやられないので、私がブログに書き込んでいる内容はご存じないです。ブログで使っているスペースの最大のものは、朝日新聞社が25年前に刊行した「写真集 甦る幕末」について書いたものです。この本は古写真学のバイブルと言ってよく、膨大な情報を含んでいて、古写真を論じるなら、ちゃんと読んでおくべき本です。それをやらないのは、モグリです。しかし、大量に記述の間違いがあり、そのままになっているのは古写真学界の悪い慣例で、その体質が「フルベッキ写真」を益々複雑にしていると私は主張しています。春廼舎ではその一部しかお話しして来ませんでしたが、いつかシリーズでやらせていただければと思っています。聴講者には自宅近くの図書館で、この「甦る幕末」を借りて来てもらうことを前提に。
 最後に坂本龍馬の手紙について、ひとこと。最後の文章は、龍馬がわざわざお龍の父親が「龍」という特別な名前をつけたと説明しているものとは考えられません。お龍の本名は「良」であると言っているに過ぎないと思います。「似ている」というのは、「同じ」ということとは違います。龍馬は、その区別くらい出来たでしょう。
by 高橋信一 (2012-06-23 10:58) 

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